- 2008-09-03 (水) 20:21
- 小説
久々の小説アップロードです。小説ページが更新できていないのはちょっと残念。今度ちょっとずつ追加しつつ、整理していきます。
そして、サイト用にあとがきを書いてみました。
1.
その日は一日中雨で、私は、外に出ることも億劫に思えて、ずっと六畳一間のアパートの一室で寝転がって本を読んでいた。
自主的に外に出ない私が言うのもなんだが、とても暇だ。そして、やることがない。今日は大学も休講日だ。
「暇だ」、「やることがない」、その言葉。ひとつずつなら何ともないのだが、二つ重なると、私はもうだめだ。家の中に閉じこもって、頭の中をデフラグ。
雨の日の私の部屋は、一寸冷えて、リラックスするにはちょうど良いあんばいになる。私はかたつむりのように寝転がって、フランツ・リストのそれのように流麗なため息をつく。それは諦めでも、倦怠でもなく、単に安らかな気持ちによって引き起こされるだけのため息だ。いい感じの空気だ。
こういう雨の日に読む本はきまって、とても長大な「罪と罰」か「カラマーゾフの兄弟」なのだが、残念ながらそのどちらも友人に貸してしまっていて、私の手元に無い。
そういう場合は仕方が無いので、家にある最も分厚い本である、「天然色大百科 第五訂」を読む事にしている。それも、じっくりと、一字一句、漏らさずに読むのだ。朝起きて、雨が降っているのに気がつけば、「ア」から順に読み始める。たいてい「ケ」で昼になる。ご飯を食べて「ケ」から再開し、たいてい「ヒ」あたりで一日が終わる。百科事典は面白い。図が載っていると、なお良い。デフラグしたあとの頭のすきまに、すっぽりと収まる。雨の日は、百科事典も良いものだ。
そんな時に私の気分をぶちこわすのは、いつだって突然の来客か、不意の電話だ。
いつだって、こんな風に私がゆっくりとした時間の中で蜜をなめている時に限って、必ずと言っていいほどドアがノックされたり、電話のベルが鳴ったりする。
まったく、ノックする前に、コールする前に、何か言ってほしいものだ。「これから30秒後に部屋のドアがノックされます」、「これから1分後に、電話が来ます」。そうすれば私は、百科事典を切りのいいところでしおりを挟んで閉じて、ノックやベルに備える事ができるのに。
今日も、私が「オオマツヨイグサ:アカバナ科の二年草。……」をじっくりと読んでいる時に、ドアがノックされる。不愉快なので、無視する。
「宅配便でーす、すみませェん、宅配便でェーす」その宅配便のアルバイトかなにかだろうか、とにかく訳の分からない男が、こんな雨の日にも関わらず元気の良さそうな声で——雨の日はすべての物事をどんより過ごすべきではないだろうか——、私の部屋に向かって、大きな声で呼びかける。
宅配便ならば、いずれ受け取らなければいけない。私は渋々ドアを開ける。
「あ、どもォ。じゃ、ココにハンコお願いしますゥ」配達員は間延びした口調で言う。私は、『おい、今日は雨の日だぞ』と彼に念じる。『おい、今日は雨の日だぞ、君。こんなに陽気に喋るのは、晴れの日だけにしてくれないか、頼むから』。でも、私のテレパシーは彼に届かない。「確かに、お届けしましたァ」彼は、帽子を少し持ち上げ、にかっと笑いながらお辞儀をする。『わかったから、早く帰りなさい、頼むから』。私の手に、ちょっと分厚い封筒が残される。
まったく、ぶちこわしだ。オオマツヨイグサが何なのか、忘れてしまったじゃないか。なんだっけ? 「アカバナ科の……?」
私はまた寝転がる。肘をついて、また百科事典を読み続ける。ああ、「アカバナ科の二年草」、だ。
「ケ」の最後の項目、「言論の自由」を読み終わる。目を壁に移して、時計を見る。十二時五分。昼時か。
私は、電子レンジで冷凍食品のたらこスパゲッティを解凍する。そして、ずるずると啜る。まあ、大抵美味くも不味くもないのだ、こういうものは。冷凍食品は、いつだって無表情だ。喜びもしない、悲しみもしない。事務的に、「はい、できました。ご勝手に頂きくださいな」。「あァ、食べ終わりましたか、そうですか。どうもどうも。じゃ、適当にゴミはそこらへんに捨てといてくださいな」。それで、ジ・エンド。
そういえば、さっき届いた荷物は何だろう。私はなんだか気になって、ちらっとそちらの方を見る。
どうせ、私はそう思う。―—どうせ、何かの勧誘に違いない。そうじゃなければ、おかしい。
私は少し厚めの封筒を取り上げる。茶色い、良くある封筒だ。宛先が書いてある。切手も貼ってある。差出人も書いてある。でも、差出人は私の知らない名前で、住所は読み取れなかった。
その封筒の重さは、確実に勧誘のチラシの重さでは無かった。少なくとも、薄めのペーパーバックくらいの重さはある。私は、「天地無用」か「ワレモノ注意」が封筒に貼っていないのを確かめてから、二、三回封筒を振ってみる。でも、音はしない。カタカタ、とも鳴らない。私にはよくわからない。
私は少し躊躇しながら、封筒を開ける。ハサミが手近に無かったので、そのまま手でばりばりと茶色い紙を破る。
結論から言うと、その封筒には、奇妙な事に、何も入っていなかった。私は首を傾げた。確実に、この封筒には何かが入っていた。なにしろ、確実な重さがあったのだ。手でもって、きちんと確かめた。
私は不可解に思いながらも、その違和感を自分の頭の主たる部分から追いやって、引っ越しの時にするようにがっちりとひもで縛って、タンスに仕舞った。『勘違いだったに違いない』、というラベルをぺたりと貼った。
そして、「コ」の最初の項目、「弧」に目を通す。
窓の外はまだぐっしょりと雨だ。
春の、ぎゅっと冷めた雨が、あまりにも無防備な窓ガラスをざばざばと打って、地面の方向へと流れていた。涼しげだった。
私は、さっきの封筒を、宛名の部分だけ破いて机の引き出しに入れた。後の部分はくず入れに、丸めて捨てた。
もう一度まじまじと宛名を見る。ミミズがのたうったように、ぐちゃぐちゃな文字だ。まったく、誰がこんなものを送りつけてきたのだろうか。私は不思議に思う。でも、特に何も起こらないまま、時間は刻々と過ぎていって、私は百科事典にまた戻る。
「呉」、「ゴア」、「コアラ」……。
そして、やはり、「ヒ」のうちの一項目、「白夜」で、私は眠りにつくことになる。
次の朝起きると、寝間着がぐっしょりと濡れていた。そして、夜中の間に、確実に疲弊していた。
顔も髪の毛も、布団も湿っていて、私は非常に嫌な気分になった。生まれて初めて、朝のバスルームでシャワーを浴びた。
なんでこんなに汗をかいているのだろう。夜中に嫌な夢を見たのだろうか、私は考える。
でも、見た夢の内容はすっかり忘れているようで、思い出そうとしても全く思い出せなかった。
2.
その日は、一日中晴れだった。休日、それも快晴の日に家で百科事典、というのも何なので、私は外出してみる事にした。
アパートの階段に、猫が居座っている。私の方をじろっと見る。不機嫌でもないだろうに、どこかぶすっとした顔をしている。私は、そいつの頭をぽんぽんと半ば叩くように撫でる。でも、ちょっと考えて、もう一度部屋に入って、手を洗ってから、街へ向かう。
手を洗って戻ってきても、やはり猫はそこに佇んでいる。そして、相変わらずぶすっとした顔を、じっとこちらに向けている。まるで、私が彼の頭を汚らわしいものに感じて手を洗った事を叱責するように。
電車はあまり混んでいない。休日の午前中、それもまだ「朝」の部類に入る時間だ。人があまりいなくても全く不自然ではない。
関係ない話だが、私は、電車の中で良く知り合いに会う。
昔の知り合いに会うのは、私としては、あまり好ましくない事態だ。できるなら、昔の事など思い出したくもない。
私は、修学旅行というものが、途方も無く嫌いだった。
何故他人と、風呂に入り、グループで名所旧跡を回り、三日か四日で帰らなければならないのか、私には全くわからなかった。不可解だった。しまいには脱走すら試みた。とにかく、私は修学旅行というものが絶望的なほど嫌いだったのだ。
そうやって昔の事を思い返してみると、いかに昔の自分がひねくれた奴だったかわかる。そんなの嫌だ。だから、昔の知り合いなんかと会いたくない。絶対に。
そして、私は昔を思い返すより今を食いつなぐのに精一杯なのだ。
電車だ。流れる景色に合わせて私の居場所も変わっていく。
昔は中。今は、外だ。
快晴だ、と言って、何となくぶらりと外に出てみたが、特にやる事はない。
私は、とりあえず、古本屋で適当に本を物色する。そして、百五円の本を二冊買う。―—本屋の無口な老婆が、二冊の文庫本を、丁寧に袋詰めしてくれる。私はこういう店が好きだ。愛想は決して良くないが、だからこそ自由に本を物色できるのだ。
そのあとで、駅前のタリーズ・コーヒーに入り、エスプレッソを注文する。
さっき買った本を茶色い紙袋——この前の封筒が、どうしても思い出される——から出す。
適当に選んだものだから、題名すら見ていない。私が買ったのは「中原中也詩集」と、三島由紀夫の「春の雪」だった。
私は少し狼狽する。三島由紀夫の「春の雪」は良いとしよう。しかし、問題は詩集、家にはその類いは一冊も無い。私は長大な小説を昔から好む。
でも、よく考えたらそんなのどうでも良かった。別に、何だって良いのだ。それが本でありさえすれば、ライトノベルでも、漫画でも別に構わないじゃないか。私はエスプレッソを一口飲む。苦い。
一寸中原中也を読んでみる。彼の詩を読むのは、中学だか高校のとき、教科書に載っていたものを読んだ以来だ。もしかしたら、それ以来ずっと、詩を読んでいないかもしれない。
詩の読み方を忘れてやいないか。私は自分に問う。しかし、私は答える。詩の読み方なんて、無いんじゃないか。
読み終えて、「素敵だ」と私は思わず口に出して言ってしまう。詩も良いじゃないか。
そして、三島由紀夫を読み始める。「春の雪」。これも素敵な小説だ。
家に帰ると、不在連絡通知が届いている。
この前の茶封筒を届けた会社と同じ会社だ。通知用紙に書いてあった番号に電話をかける。文句を言おうと思ったが、やめた。不在連絡通知が届いていた旨と、いつ届けてほしいという旨だけを伝え、電話を切った。
「昨日茶封筒が届いたのですが、中身に何も入っていませんでした」、なんて言われて、宅配会社はなんて言えば良いのだろうか。
三島由紀夫をもう一度最初から読んでいる最中、ドアがノックされる。「宅配便でェーす」
私は無感情に、淡々と、あくまでも事務的に、荷物を受け取る。今度の荷物もまた、差出人は私の知らない名前で、住所も読み取れなかった。この前からずっと取っておいた茶封筒に貼ってあった宛先と比べると、全く同じだった。どういうことだろう。
今度の荷物は、小さいながらかなり重かった。そして、小さめのダンボール箱に入っていた。
今度こそは逃がすまいと、私は注意深くガムテープをハサミで切って開ける。
中には、よくわからない銀色の物体が入っていた。金属でできた糸のようなものが絡まり合って、幾何学的な外観を作り出していた。耳を当ててみると、中でガッチャン、ガッチャンと動くものがある。
私は怖くなって、それをもう一回箱詰めして、部屋の中に置いておいた。
まったく、昨日から何なのだ。
私とは全く関係ない荷物がたくさん届く。これは本格的に宅配会社に苦情の電話の一本や日本を入れたほうがいいかも知れない。いや、そんなことより先ず宛先人のほうに連絡を取らなければいけないか?
そんなことを思って苛々したので、私はさっき箱詰めした荷物を玄関先に放り出した。あれは一見私に関係なさそうな荷物だ。しかし私に届いた荷物なんだから、私が何をやっても問題は無い筈だ。
私は床に寝転がって、さっきまでタリーズ・コーヒーで読んでいた「春の雪」の続きを読み出す。三島由紀夫は「仮面の告白」と「金閣寺」しか読んでいなかったが、なるほどなかなか、これもいいじゃないか。
次の朝起きると、例の段ボール箱に入った荷物が、昨日確かに置いた場所に無かった。
しばらく探すと、玄関の外、ドアの脇に、ダンボール箱があった。開けてみると、昨日見た筈の銀色の物体はすっかり跡形も無く消えていた。私は首をかしげた。
3.
この前から三日続いて曇天模様だ。
休日において、雨の日は読書、晴れの日は外出をすることに決めている——というより、結果としてそういう行動をとる——のだが、曇りの日は特に何も決めていない。こころのままに動く、そういう日なのだ、曇りの日は。
ただ、今日は土曜日だ。昨日まで大学にフル出場していたのだから、今日は休んだって良い筈だ。私には休む権利がある。権利といったって、今自分自身で決めた事なのだが。
さて、休むとなると、やはり読書か。いや、久しぶりにテレビもいいかもしれない。最近大学でのそういった会話に乗り遅れがちだから……。
でも結局私は、読書を取る事になる。この前買った「春の雪」の続編、「奔馬」を、まだ読み終えていないのだ。まったく、三島由紀夫も罪な人だ。あるいは、あの本屋が罪作りなのか? あるいは、私自身が? 誰でも良いが、とにかく、こんなに面白い大長編小説の第一巻を、私にあそこで手に取らせる事は無かったじゃないか——「春の雪」「奔馬」を含む三島由紀夫の長編、「豊饒の海」は、全四巻もあるのだ——。おかげでまた大学でのバラエティ番組談義に乗り遅れてしまうじゃないか。私は罪悪感を含んだ快楽に浸りながら、「奔馬」を読み進める。取り敢えず、本棚から、次の巻、「暁の寺」の準備はしてある。
私はちょっとだけ本を読む手を休めて考える。そういえば、この前来たあの荷物、あれは結局なんだったのだろうか。
最初に荷物が届いてから、だいたい一週間に一度くらい、おかしな荷物が届くようになっている。
はじめはからっぽ。
二度目は銀色の機械。
三度目はたくさんのつやつやした黒い粒が入った大きなカプセル。
四度目、先週届いたのは変な色をした、なんだか臭う球だった。
すべて同じ差出人、よくわからない住所、私宛の荷物。そして、私には関係ないように思える、よくわからない中身。しかも、きまって次の日にはなぜだか、荷物の中身だけ、すっぽり抜き取られたように消えているのだ。
私はため息をつく。本格的に、宅配便会社に電話して、あの荷物の差出人からの私への配達をストップしてもらおうか、と考える。
そして、「奔馬」へと、もう一度集中力を高める。
「宅配便でェーす」毎度おなじみ、あの男の声が聞こえる。その所為で私はいつだって不愉快のどん底に引き落とされる。私は髪の毛を両手でかきむしる。そして、乱暴に返事をして、ドアを乱暴に開ける。
宛名を確認する。良く読めない字だ。またか、ああ、今度の荷物は何だ。私は思う。何にせよ、とても面倒くさい。もうあんなものには関わりたくない。
受け取った重い荷物を、箱ごと外に放置する。
数時間後、電話が来る。私はまた不機嫌にさせられる。
「はい、もしもし、フジワラです、なんでしょう」私は機械音声の如く、なるべく無表情な声になるようにして言う。
「お母さんだけど、田舎から送った荷物、届いたかい? あんたの好きなサバを入れておいたんだけど……」
気まずい沈黙が流れる。私は頭を振る。そして、ため息をつく。適当に電話を切る。私の母は、まるで字が上手く書けないのだ。
急いで外から荷物を運ぶ。宛名をよく見ると、まあ、かろうじて私の母の名前が読み取れた。住所の字が綺麗なのは、きっとこれは父が書いたのだろう。
ハサミでガムテープを切って封を開けると、案の定、中にはサバが入っていた。封筒付きだ。
なんとか傷んでなさそうだ。よかった。私はサバを冷蔵庫に入れる。後で刺身にでもして食べよう。——家から送られてくるサバは、刺身に出来るほど新鮮な上、とても美味しいのだ。無表情なたらこスパゲッティーとは、天と地ほどの差だ。
手紙を読んだ。母の悪筆と、荷物の中の水分の所為で、手紙はほとんど解読できなかった。
「大学がんばっ…ますか…て………、…なあ……です………! 母より」
私はため息をつく。まったく、最低の気分だ。
私は手紙を、早く乾くように日の当たる窓際に置き、再び「奔馬」に戻る。
「すみませェーん、宅配便でェーす」しばらくすると、なぜかもう一度彼の声が聞こえる。
「あの、さっき荷物を配り忘れてしまったんですゥ、なので、お届けいたしますゥ」
私は眉をひそめた。そして、彼から荷物を受け取った。
「ほんとーに、申し訳ありませんでしたっ!」彼は、申し訳なさそうに頭を下げた。私はもううんざりだ、と思った。何も言わずに、ドアをばたりと閉めた。そのあと、とてつもなく嫌な気持ちになった。
案の定、中に入っていたのは、「いつもの」おかしな荷物だった。
しかも今回は、なにやら箱の中でごそごそと音がするではないか。
私は躊躇しつつも箱を開ける。
突然、箱の蓋をこじ開けて、なにやら鳥のようなものがぶわっと、私の方に向かって出てくる。私は驚いて、思わず箱を取り落としてしまう。あたりをきょろきょろと見回すと、鳥のようなソレは、跡形もなく消えていた。私は、頬を思い切りつねる。あまりにも痛すぎて、私は後悔する。
4.
大学からアパートの部屋に帰ると、「銀色の物体」の時と同じように、不在連絡通知が挟まっていた。
私は、半ば諦めを含んだ気持ちで、宅配便会社に電話をした。
「サバ事件」から、私は一応すべての宅急便を確認するようにしている。そしてやはり、一週間に一度は、おかしな荷物が届くのだ。そして、その荷物をどこに置いたとしても、必ず翌日の朝までには荷物が消えているのだ。
しかし私はもう、それについて深く考えないようにした。
届くものはいずれ届く。そして、消えるものはいずれ消える、と。
しかし、もうこの不在連絡通知できもちの踏ん切りがついた。今日こそは、荷物を夜中見張ってやる。
私は、篭城の覚悟を決め、電話で宅配便を呼び(「宅配便でェーす」「確かに、お届けしましたァ」)、部屋の鍵を閉める。
荷物は開けずにおいておく。ガムテープでしっかりと封を閉めておく。
あらかじめ買っておいた大量のコーヒーを、枕元に置く。ブラック・ガムも用意しておく。そして、パジャマ姿で荷物をじっと見つめるのだ。
私は準備を進める。そして、夜まで本を読みながら待つ(豊饒の海の完結編、「天人五衰」だ)。
あっという間に夜になる。いつのまにか、時計の短針が「11」を指している。私は、しおりを挟んで本を閉じ、ダンボール箱に集中する。
端から見ているときっと可笑しな光景だろう。真夜中の部屋に一人、じっと段ボール箱を見つめる。そう言う経験のある人が、世の中に何人もいてたまるか。
コーヒーをがぶりと飲む。いつのまにか500ミリリットルを飲み干してしまっている。
私はペットボトルをゴミ箱に放り投げ、二本目の封を開けようと、いっぱいのペットボトルを持ち上げた。
そこで、窓の外に誰かいる事に気づいた。
窓の外のそいつは、私と目が合った事に気づいて、気まずそうに私の死角へと隠れた。
しかし、しばらくすると、どうやら諦めたようで、窓からするりと部屋に入ってきた。窓から! 鍵は閉めていた筈なのに!
明るい部屋の中に入ってきた事で、さっきまで窓の外にいたそいつの恰好を、私はまじまじと見る事ができた。
所謂ユーフォー、それに目がついているような生物だ。ふわふわと空中を自由に浮かんでいる。
目が冴えているが、コーヒーと眠気とさっきまでの集中に因る疲れのブレンドで脳が上手く働かない所為か、違和感はあまり感じなかった。あ、ユーフォーが喋った、とすら思わなかった。
「どうも、すみませんでした」ユーフォーは言った。「まず謝らせていただきたいのです、そして、弁解させていただきたいのです」
いつのまにか寝てしまったのだろうかと、頬をつねると、当たり前のように痛かった。
「あなたのこの部屋には、ここ二ヶ月くらいの間、一週間に一度は荷物が届いていた筈です」ユーフォーは確かめるように言った。私は頷く。
「本当はそんな事、やってはいけないのですが、どうしても中継地の引き継ぎが上手くできませんでしてね……、臨時にこの部屋を中継地として利用させていただいたのです」
私は眉をひそめた。何を言っているのだろう。中継地?
「ああ、すみません、中継地とはですね、要するに、『この世』と『あの世』を繋ぐ通路が開通している地点のことなのです。そして、あなたのこの部屋に、ここ二ヶ月で届いた荷物はすべて、『あの世』行きの荷物なのです。部屋にいきなり『あの世』への通路が開かれたと聞かされて、驚かれている事でしょうね。でも、仕方が無いのです。『あの世』というのは、ほんらい『この世』のヒトには知られてはならない存在なのですから。だから、いつも中継地はその建物の所有者には無許可でつくることになっていまして。しかしながら、普段はこういった小さな部屋ではなく、もっと大きな、たとえばホテルとか、デパートとかに作る筈なのです。あそこなら荷物が一つ二つ現れても消えてもあまり気づかれませんからね。いや、もちろん日本政府はきちんとこの事を知っておりましてですね。今回はあちらの首相が変わられたのと、こちらの理事長が変わったのがほぼ同時だったので、中継地の引き継ぎが予想以上に手間取ってしまったのです」
そこまで一気に話すと、ユーフォーは、ため息をついた。「コーヒーをいただいてよろしいですか?」
私は、多少暖かくなってしまったアイスコーヒーをユーフォーに注いでやる。「どうもどうも、コーヒーなんて、何十年ぶりです」
「そしてですね、」彼はまた話し始める。「きっと変な荷物に関しては、今日が最後になるでしょう。あなたにはご迷惑をおかけいたしました。すべて私の責任なのです。もし攻めるなら、宅配便でも郵便局でもなく、私を責めてください。『あんなわけのわからないもの送りやがって、ふざけるな』と罵ってください、貶してください」
私は肩をすくめる。
「ちなみに、この二ヶ月に届いたものの内訳ですが、最初に届いたのが、『亡者の夢』といって、犯罪者に悪い夢を見させるという罰を与えるものですね。十個入りの筈なのになぜか九個しか入っていなかったので、私が製造所まで赴いて講義に行かなくてはなりませんでした、まったく……渡しにいかせなくても別に構わないでしょう、ねえ? あ、いや、あなたに文句を言っている訳ではないのですよ。ふたつめは、『銀のたまご』です。あなた方の世界で言う『クラッカー』です。アレを、高いところから地面に落とすとリボンが飛び出ます。刑期を終えて無事に転生できる事になった犯罪人や、あの世の幹部の誕生日を祝うものです。あれは一番高かったものです。確か、あの世のとても偉い人の一万年めの誕生日だったと思いますが。私みたいな下っ端には名前すら教えていただけませんがね…。みっつめは、『キャビアカプセル』で、あなたたちの世界のキャビアを、私たちの世界の人達も美味しく食べられるように加工を…………おや、もう説明は良いですかね」
ユーフォーは私があくびをしたのを見て、説明を切り上げる。私は頭を掻く。頭を、デフラグどころか総消去したい気分だ。
「なんにせよ、今回の事は、どうか内密に……。これが、上の人間に届くと、私のクビが飛ぶかもしれないという、一大事ですので、ね。どうかこの、あの世名物『あの世まんじゅう』をいただいてください。政府の皆さんに、いつも美味しい美味しいと言って食べていただいております。アメリカでは『あの世ハンバーガー』をお出しいたします。イタリアでは『あの世ジェラート』です。ああ、こんな話はどうでも良いのです。とにかく、各国の名産のものを、あの世で作ってお配りしているのでございます。とにかく、あの世名物『あの世まんじゅう』で、この件はどうかお許しいただきたい。それでは失礼いたします。もうお目にかかる事はないでしょう。それでは、私はこれで失礼いたします」
そう言って、彼はぼんという音と、煙をたてて消えた。
私の目の前には『あの世まんじゅう 24個入り』が残された。食べてみると、なるほど美味しかった。
コーヒーの所為でその夜は眠れなかったので、「天人五衰」を読みながら、24個入りのうちの半分は食べてしまった。
そのあとで、とっておいた一番はじめの封筒の宛先をびりびりに破いて捨てて、頭のフォーマットを始めた。どうやら一晩中かかりそうな作業だった。
それから、私に『あの世』から荷物が届く事はなくなった。ちょっと淋しくなった。
母から届いた荷物を見るたび、また『あの世』から届いた荷物か、と期待はするのだが、中身はごく普通のサバだったりする。
母の悪筆は、まだなおっていないのだ。手紙が濡れていないとしたって、二割の字は解読できない。
そして、私や母や宅配便の彼は、いずれ「中」から「外」へ行くのだろう。
おわり
—
あとがき:
この小説は、5月くらいに書いたものです。←おおざっぱすぎる
個人的に、年度が変わってはじめて書いた小説(といってもボツにしたのが5,6編ありますが)なので、こだわりを持って小説を書きました。
部活の先輩方から、なぜだか高い評価を頂いて誠に恐縮した次第であります。
「百科事典を『ヒ』から先も読んでほしい」という指摘は、まことにごもっともです。
今度解題でも書いてみたい小説です。
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